二宮翁夜話 "君の不幸は世に役立つ生き方をしてないからである"

二宮尊徳は哲学者である。
二宮翁夜話に生きることとは?が示されてある。
世を益するのが正道 翁のことばに、
"神儒仏の書物は数万巻ある。
それを研究しようと、深山にはいって座禅しようと、その道をのぼりきわめてみれば、世を救い、世を益することのほかに道はありえない。
もしあるといえば、邪道に相違ない。
正道は必ず"世を益すること"一筋だ。
たとい学問をしても、道を学んでも、ここに到達しなければ、よもぎ・むぐらがやたらにはびこったように、世の中に用のないものだ。
世の中に用のないものは尊ぶに足らない。
広がれば広がるほど世の害になる。
幾年の後にか、聖君が出て、このような無用の書物を焼き捨てるということも、ないとはいえない。
焼き捨てるまでは行かなくても、荒地を開くように、無用なよもぎ・むぐらを刈り捨てて、有用の道の広まる時節もないとはいえない。
ともかくも、世の中に益のない書物は見ぬがよい。
自他に益のないことはせぬがよい。
「光陰は矢のごとし」だ。人生六十年といっても、幼い時、老年の時があり、病気があり事故があって、仕事をする日数は至って少いのだから、無用のことはしてはならぬ。"
二宮翁夜話 福住正兄


二宮金次郎は、たとえ山に籠もって厳しい修行をし、悟りを開いたとしても、その悟りが世の中の役に立たなければ意味がないと説いています。
現代では、様々な宗教や教えが溢れていますが、その多くは「人生を幸せにする」「自分を成功させる」といった、個人の利益に焦点を当てたものばかりです。
このように個人の利益を重視する教えが広まったことで、自己中心的な考えや詐欺行為が増えているのではないでしょうか。
しかし、本来、個人は社会の一員なのですから、社会全体が良くならなければ個人も良くなりません。
社会全体が豊かで調和のとれたものになってこそ、個人も良い環境で幸福を感じられるのです。
正しい教えとは、世のためになること。
この真理は、二宮金次郎の時代から今日まで変わっていません。

生きている間に何をしたか?
を死ぬ前に問うて満足できればよい人生です。
世に何も成さず、我が身の不幸を愚痴ながら生きながらえることこそ地獄に堕ちている状態です。そのまま長寿すればする程、地獄を巡っている毎日で、我が子に先立たれ、だれも自身を知る人も居なくなり、自身も自分が誰だかわからなくなり世を終える。
四則演算程度を学んだ者なら簡単にロジックで解けるはずである。
世によく生きたと問えない者が幸福なわけがなく、人智を超えた人非ざる力に救われるわけもなく、輪廻から解脱できるはずもなく、識は永遠に厭離穢土を巡る。