矢郷良明 LIFE philosophy @deracine5to1

思考と哲学の旅日記

ジャンケレヴィッチ

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養老孟司さんの著書でジャンケレヴィッチの「死の人称」をよく引用されていた。

一人称(私)の死、

二人称(あなた=身近な人)の死、

三人称(他人)の死のなかで、

体験できるのは、二人称、三人称の死だけ。

二人称の死は、体験した人に深い爪痕を残す。三人称の死はニュースなどで見聞きする死で、ほぼ自分と無関係な死だ。

これに対し一人称の死は、私という意識も存在もなくなるのだから、体験することはできない。

ゆえに存在しない。

存在しないものをあれこれ考えても仕方ないから、考えない。

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織田信長は"人間五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。一度(ひとたび)生を得て滅せぬ者のあるべきか"幸若舞を舞、出陣していました。

下天とは仏教の十界の中の「天上界」の中の一番下の階層を指し、そこでの1日は人間界での50年に相当し、「人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり」とは

「我等の50年は下天では1日にしかならない。人の一生なんて儚い」

という意味です。

寿命は関係ない。

※ちなみに天道の中で最も下の階層・下天には四大王衆天が住んでます。
持国天増長天広目天多聞天

⚫︎織田信長はこの幸若舞に別の意味も加味して舞っていたと伝えられてます。

「自身の死は生きてる時に観ることなく、死んでからも観ることもない。それは死などなきものだと思わないか?眼に見えないことを不安に思うな。ただ闘って生きろ。」

とのメッセージだったそうです。

 

「私の死」は考えない。

それでいいじゃないかと思う。