矢郷良明 LIFE philosophy @deracine5to1

思考と哲学の旅日記

Literacy to see facts

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空手の生徒さんだった女の子がプロスポーツチームのチアになり、ダンスボーカルユニットに発展し、あちこちで活躍している。

華やかに見えるが本人は大変な努力と、人には話せない葛藤や苦労が山のようにある。

同時に受験タイミングでもあり、毎日が自分との闘いで、その泥沼を腰まで浸かり歩む真実の姿は親御さんや指導者にしか理解され難い現実である。

私が彼女と会うと「見てる人は見てるよ。必ず努力は報われるよ!」と励まし、祈ることくらいしかできないが、もっと多くの人が、人より少しでも秀でるには大変な努力と葛藤の積み重ねが必要なのだということを理解できる識字能力・審美眼・理解力があればよいんじゃないかと願っている。

 

ファクトフルネス。

 

たくさんお金を稼ぐ人は、比例してたくさんの支出が発生するからキャッシュ・フローが大きくなる。

が、ストックは大きくならない。

フローしてストックもデカくなる会社は余程大資金会社か、実業ではなく金融商品で回しているか、税の編み目を潜るか、非合法なことをするしかない。

 

お仕事は"三方よし"といって、自分・相手・世の中がよくなるようにビジネスをしなければ社会的に紳士な仕事ではない。

その原則から行くと、自分だけ儲ける、儲かるってことを主体として考える時点で失敗するし、いつか失敗するし、そもそも人間がクソである。

人の生には普遍的因果率があり、善き原因を積み重ねれば、善き結果、善き結果は善き未来の因となり、それを積み重ねることが善なる人生になる。

因果の法則で一番大事なのは、縁である。

因果の因は自分以外の人や環境の"縁"によって変わる。

これを"因縁果"と言う。

その縁を大事にし、縁という人々や環境存在に善きことをしようとする"因"を行えば、必ず善き果になる。

それゆえに武道の世界では、依正不ニ(環境と自分は2つで1つの不ニである)と言われている。

不ニには"色心不ニ"(自分の心と体は2つで1つの不ニの関係)という原則、生死不ニ(生も死も同じ等価値である)というもある。

 

依正不ニの原則は机上論ではなく、数学的な実証できる現実である。

 

数学的なことで考えれば、大きなものを動かすには大きなエネルギーが必要であり、大きなエネルギーは大きな困難と直面し、大きなストレスを抱える。

スピードの出るクルマは空気抵抗が大きくなるのと同じ。

誰もが羨むような人は実は大変な問題を抱えて苦悩の浮沈の荒波の日々を生きておられる現実がたくさんある。

 

その数学使い推論で考えれば、大きなことにチャレンジしている人は必ず問題も大きくなるし、大きなストレスを抱えている。

ましてや因縁果の法則にしたがい、善き縁を積もうとする人はボランティアで活動することが多々あり、なんの報酬もなく、大きな問題と戦ってる方がたくさんおられる。

そんな方々は対価や評価を求めてはいないので、とにかく一生懸命に生きている。

そんな方々を想いやる優しさや、手を差し伸べる心がもっと誰にもあったらよいんじゃないかと思う。

 

自分だけが良くて、他者への認識能力も低いのに評価だけは人並みで、風潮や人からの伝聞だけで人を評価し、悪口を拡める人間が多すぎると思う。

そういうのをクソと呼んでいる。

アメリカ社会だとシットハート(shit Heart)と呼ばれる。

そんな、自分以外の人や環境に善き影響をもたらさないものは、生きてる価値がないんじゃないか?と正直思ってしまう。

よくないことだか、私はこれが発端でよく「じゃああんた死ねばいいんじゃない?」と言ってしまう。よくないわな。

人は環境の一つであるから、生きてるだけで価値はあるのだが、害になるなら必要ないんじゃないか?と思ってしまうのが煩悩なんだろうなと思うが、

そんな人に何を言っても理解できないので、無視するしかないようになっていくが、それも"縁"であり、いつか、今世か来世か、解りあう日もくるやもしれない。

なんとも納まりつかない人生だが、生命のすべて放棄して(上座部仏教では煩悩から脱し輪廻解脱する考えと同義)しまうか、縁を大事にし、縁という人々や環境存在に善きことをしようとする"因"を考えて行う以外に人の生きる道はないと思う。

とにかく生きてる限りは"人に優しく" "人を想いやる"ことをしていけたらと思う。

誰もが私が思っている以上に努力に努力を重ね、苦悩に泥沼を歩んでいる。

想いやる気持ちと、手を差し伸べる優しさを。

 

木曜日に病院に行っていて、トイレに入ったら、私の入った個室の隣の障害者個室トイレでお爺さんが急死され、ヘルパーさん、家族の方、看護師さん、医師と一緒に個室から搬出した。

何度経験しても人の生死に直面すると、やはりショックで、さまざまなことを考えてしまう。

お爺さんに心から哀悼を。

 

そしてコロナ禍に安穏の来ることを祈る。