矢郷良明 LIFE philosophy @deracine5to1

思考と哲学の旅日記

仁義礼智信厳勇

◆日曜日にミュージカル女優さんで歌手の島田歌穂さんがプライベートで富山に来県されておられたので、お話を聴く機会ができたので行ってきました。

レミゼラブルなどで世界で活躍され、エリザベス女王の前でも演じられたくらいの人でもあり、お母様も宝塚の女優さんで、さすがに華やかな方でした。

と、同時に揺るぎない、確信を持つ芯の強い方との印象も持ちました。

自分的には島田歌穂さんといえば、がんばれロボコンのバレリーナロボット、ロビンちゃんですが。

そんな話もあり、よい出会いとお話しでありました。

◆20年以上ぶりにボーリングをした。

何度か投げていたらコツが判ってストライクが出るようになったが、肩が痛くなって疲れて止めた。

体の片側だけ使うスポーツは苦手である。


◆関西におられる空手の先輩から連絡があり、いろんなお話を。


定期的に空手のスポーツ化に嫌気がさしたら連絡してこられる。


自分は空手は「稽古は武道」「試合はスポーツ」と分けて考えています。

◆武道は儒教の基本徳、仁義礼智信の五徳を厳勇をもって挑むものと教えているのが、どこの空手道場さんも基本になっております。

武道は「武から入り徳に至る」が根本目的であります。


優れた武道家の先生方は
仁義礼智信 厳勇と武入徳至の精神を外れたものはスポーツであり、まして体術となれば、相手を傷つける為だけの殺傷術である。」と必ず言われます。
先生方は
「この武道の根っこの部分が腐ってしまった。」と嘆いておられます。


しかし、ここは難しいところで、政治が「経済なくして国民を守れない」のと同じで、武道もスポーツというか、競技の部分を持っていないと、武道精神は維持できないと思います。

スポーツから学ぶ部分は多々ありますから、このスポーツ的な部分を利用して武道を補強していくのがような気がします。


それに誰もが試合に出て選手になるわけではないので、修行の目的は社会生活の充実であります。


ちなみに競技として強くなりたかったら、練習より試合をこなさないと強くなりません。

それは誰にでもできることではないので、自身がプライオリティの分別を持てるようになればよいのです。

◆武道とは仏教によくにていて、小乗仏教のように自分の修行の為だけに修練する人は強くなりません。
大乗仏教のように、自己も律して他も益す修行をしなければ本当に強くはならないでしょう。


空手道場に来られる子供達は、自分より下の帯の子供に気がついたら積極的に指導させています。

まず、自分が指導することによって言動の責任が生まれます。

そして自分が指導したら「それが本当に正しかったか?」と自身を律しょうとする、自浄力が働きますから、自分が修行中であっても、他の人を想って、指導することは、自己の成長に繋がります。

成長した自分がまた他を益し、益を受けた人がまた別の人を益し、指導してくれた人をも益する。


これが社会ってもんだと思います。


この自行化他の精神がない人が増えていってることが、武道だけでなく、社会の問題なんだと思います。