déraciné

思考と哲学の旅日記

昔アントニオ猪木さんが

言っていたプロレスの市民権って言葉も似たような意識からきたのだろうか。
しかし一般社会に認められるのはよほどのことをしないと不可能かもしれない…。
<プロレス>って言葉自体がネガティブなイメージをもたらしていて社会との間に溝ができてるような気がする。
ハッスルさんの前のレッスル1さんも(プロレス)がNGワードだった…
ネガティブなイメージになる原因は関係者さんの中でハッキリしていると思う…。


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K1.PRIDE.UFCは勝負論を元にしているのは当たり前だが、選手のアスリートとしての外見的説得力がさまざまなイマジネーションを呼び、選手のパーソナリティ、スキルにまで興味を示させリスペクトを産んでいると思う。

<強そう>とか<怖そう>とかの外見からのファーストインプレッションがある者同士が対峙するから勝負に大きな期待を持って観ると思う。
それプラス、彼らが何故闘うのか?の「試合をする意味」が単純で、伝える側のプロモもしっかりしてるから観る側も入り込みやすく乗りやすい。

なによりも格闘技の選手、そしてジャンルそのものを観る側、そして一般社会は「舐めていない」、「馬鹿にしていない」というのがいいと思う。
「舐めさせない」
「馬鹿にさせない」
これはどこの社会でも人間関係でもビジネスでも当たり前の原則ではないでしょうか?
尊敬できないヤツの話なんか聞かない。
ましてや金なんか払う気もしない。

当たり前のことで見えにくいかもしれないが、人間はしっかりした存在価値、アイデンティティを持つことが義務であり、その個人達が社会形成してると思う。
それが人だけではなく組織やジャンルなどを成功に導く最初の条件であり重要な条件だと思ってます。
いろいろかいたことは、まだまだ考えていってより良い答えがあると思う