矢郷良明 LIFE philosophy @deracine5to1

思考と哲学の旅日記

Fate occurrence

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5.7に高岡市GOOD FELLOWSさんでアコースティックライブを企画して開催したんですが、そもそも浜田ケンジ君という素晴らしいアーティストからの依頼を受けての企画で、

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数回私も出演してアコースティックライブをやってます。

前回はもう1人、私と同じ歳の富山のナイスなアーティスト、Kussaちゃんと一緒だったんだけど、今回はスケジュールが合わず、どうしよかな?と考えてたらまたナイスなアーティストのもりきゅあ君と話す機会があり、閃いてもりきゅあ君をブッキングした。

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これは単純に閃いたのではなく、年齢・世代の違う3人で、尚且つ浜田ケンジ君のようにオリジナリティがあるメンツでと考えてのこと。

 

"年齢世代的の差によって音楽がどんなに変わっていくのか?"を私自身が知りたく聴きたく、私が1番上で53歳、ひと回り下が浜田ケンジ君、もうひと回り下がもりきゅあ君30歳にうまく揃った。

 

自分はずっとパンク・ブルースロック、ロカビリー信仰者でその血脈があるんで、たぶんなにをやっても、「良い意味でも悪い意味でも出るわな」と思ってて、

浜田ケンジ君は様々な音楽を血脈とし、自身で咀嚼し練り込まれたオリジナリティ溢れる、素晴らしい曲とパフォーマンスと表現されるだろうと期待して、

もりきゅあ君は自分より2回り下の世代でまた私達の知らない様々な音楽を血脈とし咀嚼した歌と演奏だろうなと期待して、

浜田君ともりきゅあ君のライブを拝見したが、本当に素晴らしかった。

彼等と同じ時代に生きててよかったと思った(笑)

 

もりきゅあ君のひと回り下の10代の世代が私の息子の世代で、彼等はかなりヒップホップ、ラッパーの文化が浸透しており、自分で書くリリックもラップのリズムも完全に新世代である。(YENTOWNやTohjiの影響が強い)

息子の仲間のラッパーやトラックメーカー、ギタリストもナチュラルにヒップホップ文化を身につけていて、これが世代のボトムとして親の自分の間までの音楽文化の変節を学びたいと常々思っていたので、GOOD FELLOWS浜田ケンジ君アコースティックライブは本当によきイベントになった。

コロナ禍でなければ最高なイベントになったと思う。

 

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まず音楽はオリジナリティありきで、他に代わる者がいないということが表現者の絶対的なアイデンティティでが必要です。

上手い下手は二の次で(彼等は相当な技術のプレイヤーですが)、様々な音楽を聴き、文化を学び、経験を重ね、修練を積んで、"個"の確立を目指してステージに立つ。

インプットとアウトプットの連鎖が巨大な智慧と文化と表現になり、それが他を益すようになる。

それが芸術というもので、

それを観たい聴きたいと人々は潜在的にたくさんおられると思う。

 

その機会を封じられるこの世の中のコンディションの悪さは本当によくないと思うが、疫病はどうにもならない。

 

 

それだけ"世間""社会"というものは"個"に深く関わっているということである。

 

あらゆる思想に因果律が説かれている。

因果律、因果の道理とは、原因と結果のことで、よいことをしたらよい因となって、よい結果をもたらしますよという、善なる人間の生き方としてよく語られている。

 

仏教では"因縁果"として説かれており、釈迦は因は縁によって起こり、変わり、結果も縁によって捉え方が変わり、またその果が縁と交わり、複雑な因となり、また複雑な果をもたらし、それが自身にも社会にも波紋として広がると説いた。

 

それを突き詰めようとしたら、自身は「種を植えたら人が手をかけ、天が日差しと雨をもたらし、他の生物が害と良を与え、花と実となる」というのと同じ、"環境の一部"であり、万物森羅万象に影響され、支えられ、また自身も森羅万象の一つであり、存在するだけで様々な影響を与えている、"無意識の世に必要な存在"であるということに気づく。

 

ということはこの世に不必要な人や生命は一つもないということになる。

 

逆に考えれば自身に執着するのもどうでもよいことで、難しく考えずただ煩悩のままに生きて、他への慈愛を持っていれば、世の為になり、なるべき人間に勝手になるということである。

 

難しく考えず、困ってる人に手を差し伸べて、美しい花や緑に心を観て、あらゆる生命を愛し、毎日を重ねていけばよいだけである。

 

そしてある日、疲れた少し寝ようと目を閉じたら、もう起きることがなかった。

というのが現世の一代なんじゃないかな。

 

仏教には空間論というのがあり、まさに人は空で、(からっぽ)で、あらゆる人や生きとし生けるものの、「総意の器」であることが説かれてる。

 

からっぽ・総意の器は「無我」の境地のこと。

 

まず誰もが自分とはなにか?と定義したい人がたくさんいると思う。

では、自身を定義してみてほしい。

名前は〇〇という名前で、何歳で、誰が親で、どこに住み、どんな生活をしてきて、どんなことを学び、どんなことができるか?

ここから不思議なことが起こる。

自分は〇〇と言う名前の苗字はどこそこの土地に住む一族の末裔だとか、親がどこそこの土地の生まれで、家業はこんなことやっていて、その土地はこんな土地で、そこにはこんな歴史があり、と、どんどん自身の定義が自分以外の定義も必要としていく。

これをずっとつづけると最終的に宇宙を定義することになり、「自身を定義しようとしたら宇宙も定義することになる」という相反する事実を定義でき、

そこで「自分は空であり無我である」と理解するわけである。

 

これは哲学にみえるが、実は数学論理で、部分関数のことである。

偶数を定義してら、奇数は勝手に定義できる。

矛盾する2つのことが、同時に判るのが常識です。

 

これと同じことで、この部分関数はあくまで現象の1つでしかなく、重く考えなくてもよい、社会の道理の一つであることを証明している。

 

人は環境の一部で、縁によって因を選び、因を作り、それがまた縁と絡み合い、思わぬ結果をもたらし、それがまた思わぬ見知らぬ因を生み、縁と絡み合い、思わぬ結果を社会にもたらす。

 

善悪は定義できないが、良かれと思うことを自分以外の人々、生命に奉仕し続けて、あとは考えず毎日を積み重ねれば真っ当なよき人生になります。

だからいま、世迷う方々は考えなくてよい、生きてるだけで誰かの、世界の役にたってます。

環境の一つなんです。

 

 

そして煩悩は社会の発展の為に必ず必要なことなので、捨てなくてよいです。

昔は金持ちの家にしかエアコンがなかった。

いまは誰の家にもあります。

それは欲望の煩悩がもたらしたもので、世の中の発展と進化は煩悩がもたらしてきました。

 

あとは調和を心がければ、地球人のCO2削減もできるし、自利利他の前に他利利他を第一としていけば、自然に自利利他になっていきます。

 

世の中は因縁生起。

難しく考えず、なにもしなくても環境の一部の私は世に必要とされているという自尊心をもって、毎日良き世を形成する心がけをしていれば自然に、なりたい自分になってると思います。

それはキリスト教でもイスラームでもヒンズーでも仏教聖道門でも浄土門でも同じプロセスで、その道を自力で頑張ってあるいていたら、実は導かれていたと思える、不可思議なことが心から理解できる日がきます。

因縁果の法則、縁の重要さと尊ぶ気持ちをわすれなければ、あらゆることが解決します。

 

死んだら使命を持って、前の記憶を消して、またこの世に戻ってきますよ。

この世の為に生きようと。

それを聖道門なら願兼於業、浄土門なら還相回向往相回向と呼びます。

 

因縁果はあらゆる生命の大原則です。

 

ということをライブから再び感じ入った次第であります。

自身の内面を曝け出すオリジナリティのあるライブ表現は、重要な生きる指針となる哲学を明示してくれる機会で、深い意味ある行いなんです。

そんなわけでよきアーティストさんと、場を提供していただいたGOOD FELLOWSさんに感謝です。