"風の上に吹き上げられて、居場所も定まらない塵のようなわが身は、行方不明になってしまうようである。"の意。
前田慶次が関ヶ原合戦で親友直江兼続との友誼から上杉景勝に使え東北山形で激闘を繰り返したが自軍上方・石田治部三成の敗戦が伝えられ、攻め入る西軍・最上伊達連合との地獄の撤退戦の殿(しんがり)を前田慶次がつとめ、勝ち馬に乗る最上軍を逆に攻め込み、四分五裂させ撤退軍をほぼ無傷で生還させる偉業を成し遂げる。
それからしばらくして上杉は徳川から会津百二十万石から米沢三十万石に減移封。
その時詠んだのが"風の上にありか定めぬちりの身は、行衛も知らずなりぬべらなり"である。
わたしはこの歌が好きで、初めて読んだ20歳の時から生涯の我が身を指し示すものと心に刻んでる。
私も定まることなく時が来たら必ず去り逝く。
前田慶次は兼続と供に米沢に農業革命、経済革命の基礎をつくり文化文明を育み、大衆の為にその生涯を閉じた。
その偉業は上杉鷹山に受け継がれている。
前田慶次はパチンコの台になってるような軽い人間ではなく、圧倒的な力と文雅の風雅の才を持った生きるに値する人だった。
世の人にはわかりづらいタイプの方だとは察しがつく。
それが傾き者と呼ばれる生き様にならざるを得なかったんだろうと思う。
秀吉の朝鮮出兵では兼続が宋版史記を大量に持ち帰り、それを前田慶次と供に日本で最初の銅板印刷をし、司馬遷の名を日本に広めた偉業者でもある。
文武を治め僧侶貴族より博識で芸術家であった前田慶次の俳句や歌はたくさんあり、決定的なのがこの前田慶次道中日記である。
フランスのバタイユやボードレールに匹敵するような心の洞察を文書化した旅日記で書に造詣あり詩心のある方にはぜひお読みいただきたい名著である。
前田慶次旅日記はかなり昔、訳本が出版されていたが販売されてなく、県立図書館に訳本があったのをコピーしてもっていたが20年前くらいから米沢で前田慶次を再注目ブームで旅日記のオリジナルを写本したものが販売されだしていた。
私はなんでも本物をみたいし、本物を手にしたい、本物の方に出会い話し、どうしたら本物の人間になれるのか?学び続け向上したいと考え続けている。
空手もプロレスも役者さんにも芸術家にも経営者にも宗教家にも政治家にも縁があり、本物の才能者達に近くで話し学ぶ機会が他の方よりも多かった。
人となり、なにを学びどう歩いたか、なにを心でみられたか?
それが自身の糧となり、後継のバトンにもなりえてきた。
いまロックンロールに夢中で、その世界でもストリートから生まれた芸術家ロックンローラー達、私が若い頃に聴き育ててくれた本物のロックンローラー達に会え、ステージを供にする機会も増え、更に音楽・ロックンロール芸術の深みを学び恐悦に浸っている。
そしてそんな本物のロックンロールアーティストさん達をお招きして富山でも本物を身近にみれ、学べる、という環境を整える立場になってきた。
行列にならんで食べるラーメンは皆が並ぶから旨いとおもってるだけかもしれない。
ファミレスにいったらなんでもあるけど美味しいものなんてなんにもない。だけどそんなこと考えたこともない。
人の噂は信じるが自分で真実を確かめたことはない。
自分の力で知り学び審美眼と判断力を高めること、それを世に還元することが人の道というものである。
40歳過ぎたらもう散々楽しんだんだから、楽しむだけでなく、もっと学び本物になって、人のやれないことにチャレンジして、人の世を益することすべきでないか?
それが傾き者の生き様でないか?
私は芸術として刺青好きで、世の風紀を乱す刺青者だが、人にはやれないことをやってまかり通るか?にチャレンジしている。
風体が悪いから普通の努力では済まないんだけど、それもまた一興。
前田慶次のもう1人の友人、奥村助右衛門が言った「傾くなら傾き通せ」という言葉、私に言われたと思い、そうしたいと思ってる。
じゃあまた皆ステージや道場、街中で逢いましょう。