矢郷良明 LIFE philosophy @deracine5to1

思考と哲学の旅日記

Rider on the Storm

◆ヘルライドのTシャツ、ハードコアチョコレートで購入した。
ヘルライドは好きな映画だが、何度見ても意味がわからん。
ハードコアチョコレートのムネ君にTシャツ作ってと頼もうかと思ってたがやめた。

◆イングロリアスバスターズのDVDを観直す。
ブラッド・ピットが居ないものとして観るとすごく面白い作品。
役者は良くも悪くも、演技力より存在感の方が重要になるという、ネガな例。

米倉涼子さんなんて、ドラマで演技しなくても出演してるだけで観てしまう。
主役や準主役は立ってるだけでいいくらいの存在感が必要で、脇役は演技力がないと存在感がでないので一生懸命努力してもがくのだ。

バンドだってボーカリストは努力よりルックスを含めた先天的才能がある者以外はなれない。

俗世間ではそれがルールか。
真矢みきさんの宝塚時代の映像を観たら、その演技力、歌唱力、踊り、どれをとっても芸能人を遥かに凌駕しており、素晴らしい存在感である。

それがテレビ中心の俗世間に降りたら微妙なキャラにされてしまい、本人もそれを自覚して、やりきっている。

俗になるということは本来の実力を出さない、自己主張しないことで、ポピュラリティを得られるということだ。

残念ながら現在の大衆の知的水準では、政治も経済もポピュリズムがないと成立しないのだ。

幾多の天才、哲学者、芸術家は大衆の無理解に悩まされ死んでいった。
昨日、没後百年を迎えた文豪トルストイでさえ、生前は大衆にも国家にも無理解により疎まれた。

福澤諭吉ポピュリズムがないと国は成長しないが、同時に大衆を育てないと、もっと国は育たないと気付いてか、衆心の発達を説いた。

◆向上心なきものは去るがいい。

人間は永遠に理想と現実の歯車を噛みあわせ回し続けなければならない。

この闘争を避けるものは、生きる価値を失う。

◆一部の優れた者達は、博愛で衆愚を引き上げようと、時には道化も演ずるが、衆心の発達に時間がかかり過ぎると、シャア・アズナブルのような仕方なく、人類粛清の宿業を背負おうとする人間も現れる。

またはサイアム・ビストのように、「一部の優れた者」を逆に粛清(NT-Dニュータイプデストロイヤー)して世の中の均等を取ろうという発想もうまれるのだろう。

核の力で、ボタン1つで世界を破壊できる世の中になっていたのを、電波障害を起こすミノフスキー粒子の発見で、モビルスーツによる戦闘が主流になり、また幾年も経ると、無人で闘えるモビルドールを発明した人間に、騎士道哲学を踏まえ「人間同士が闘って死ぬことを見せしめねば絶対平和は訪れない」と現在の核廃絶運動と同じような心情で、自らを犠牲にして闘ってみせた、トレーズ・クシュリナーダのようなヒューマニストの人柱を生んでしまったり。

これはガンダムの世界観だが、現実も似たようなものなのである。
大なり小なりで。

◆人間とはどうしようもない生きものである。

そんなどうしようもない世界で金をもらって、生きる私もどうしようもないのだが。