矢郷良明 LIFE philosophy @deracine5to1

思考と哲学の旅日記

ゴールデンウィークなのに

ゴールデンウィーク真っ只中、東京後楽園ホールでのDDTプロレスの興行に出向く。

あの「いつでもどこでも挑戦権」があるのでタイトルマッチにはいかなければならない。

なんだか、「いいんだか悪いんだか」である。


◆昼間12時に東京に到着、16時には富山行きの新幹線に乗るという、滞在四時間の旅である。

ゴールデンウィークなのに。

DDTのおかげで前々から短時間滞在のチケットを買っているから、みどりの窓口でどうも怪しまれだしてる雰囲気で、「なにかの運びやかマネーローダリングか」と公安のマークでも付きかねない情勢である。

◆で、いつでもどこでも挑戦権を持つ私は、どうしようかと迷いながら、激闘の末に高木三四郎を破って新チャンピオンになったリング上のHARASHIMAの元に向かったが、HARASHIMAが「いますぐにでもやってやるぞ〜!」と言ったのを聞いて「軽さ」を感じ、やる気をなくしたので「×」して帰ってきた。

KUDOとやるのかどうなのかしらないが、なんとなくKO-D歴代のチャンピオンにはベルトへの愛着とか、リング外からのベルトを巡る攻守のドラマがなくて、単なる後楽園メインの恒例行事の道具になってるような気がするので今回もパスしたのだ。

こんな調子でKO-Dタイトルで両国国技館メインを張るとなると「ちょっとなぁ」と感じるのは俺だけじゃないと思う。

あのKO-Dのタイトルに威厳を持たせるには、単純に強いやつがベルトを巻くことだけでなく、あのタイトルに執着心や愛着があるもの同士の憎悪と、征服心の強いもの同士の闘いのドラマが、ベルトの価値を高めていくんじゃないだろかと思うのだ。

自分はベルトを巻いたことがないのだが、あのベルトこそ怨念渦巻くDDTとの闘争の象徴であり、それを征することは、忌まわしき記憶の消却と新しい矢郷時代の始まりを意味することなのだ。

あのベルトを巻く資格は最も私にある。

だからベストのタイミングでベルトをとりにいく。

はっきりいって、DDTは新しいことをしてるような雰囲気でかなり保守的である。
いわゆる"ネオコン"なのである。

その打開をできるかどうかが、両国国技館成功のカギを握っていると思う。

両国国技館、成功ってのはチケットがたくさん売れたという次元のことじゃなくて、両国国技館大会から新しい流れを生み出すことができるかが、本来の成功にあたるだろう。

それが現在のネオコンDDTに出来ないから、このインテレクュアルなインテリジェント・キラーがピーターパン・ホロコーストの名のもとに"粛清"しようというのである。

DDTは恐れず私の試合を組めばよい。

契約選手はドジっても、本人はジタバタして、会社はなあなあにして使い続けなければならないだろうが、俺みたいなフリー選手はドジったらもう使わなければよい。

それも一興なのだ。