矢郷良明 LIFE philosophy @deracine5to1

思考と哲学の旅日記

ヘルベリー!

★ヘルベリースラッピングカバーズ2を購入♪
ネオロカ、サイコビリーのトップどころのカバーコンピなんだが、これがなかなかかっこいい♪
メテオスがロウハイドやジューダースのブレイキンザロウを
クエイクスが懐かしいエコーアンドザバニーメンのキリングムーンを
ロングトールテキサンズが名曲ヒートウェイブをカバーしている
最近エネルギー充填のため、ガキの頃よく聴いたロカビリーばかり聴いている。

★価値論の本を読んだ。
『人は価値を求め高める。
価値とは利害・美醜・善悪の三要素である。
●個人的価値である感覚的一時的価値を美醜
●全身的永久的価値を利害
●社会的価値として善悪がある
この最高最上の価値を求めるのが人生の目的である』と書いてある。
そして『最大の価値を獲得するためには自己の生命の実体を知り、生命の力を知る必要がある。』と書かれている。
感覚では判っていたが、文で読むとハッキリ人生の目的感が浮かび上がる。
★よく価値観を高めよといっているのはこの『利・美・善』の基準を高めよと言っているのである。しかし人間として確かな生命観がなければ、なにが利・美・善か判断しかねるのだと思う。
価値観を高めるのは方法論であり、生命観を知るのは根本だと思う。
洋の東西の哲学は人間の根本を求め語られるが、現実生活から離れた机上の話にしか思えない。
だから大衆には支持されていないのではないか?
宗教には生命観探求を日常の視点からしようとしているから生活に密接なのではないだろうか?
ところが宗教にも正邪があり、その価値判断がまったくもって難しいのである。
★それと人間の習性か、哲学など高尚そうなものにはそれほどでもないが、生活に身近な宗教には
「認識と評価の混乱」を起こしがちなのである。
簡単な例が
生徒が先生に「この問題の答えを教えてください」と聞くと「お前はこんな問題も判らないのか!」と言う。
これが「認識と評価の混乱」である。
生徒は認識を求めているのに先生は評価をしてしまう。
要は感情でモノを言っているのだが、
社会の混乱の原因のほとんどが「認識と評価の混乱」が原因である。
★何度も書いてきたことだが、感情でモノを考える、モノを言う奴等は社会悪なのである。
どんなに知識と智慧があっても、感情が邪魔をしてすべて台無しにしてしまう。
人は宗教に「認識と評価の混乱」をするので結局、正しい生命観が判らず、高い利・美・善を得られず死んでいくのである。
だからまず「認識と評価の混乱」を起こさないため感情をコントロールできなくてはならない。
その方法は肉体に厳しい精神修養を課すのが一番手っ取り早い。
感情でモノを考える人は心が弱いのだから虐待ではないが、エラい目に合わすしかない。
それでやっと生命観探求のスタートラインに立てると思う。