déraciné

思考と哲学の旅日記

悪からんは一定

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京都時代からの友人から商談の交渉の助力を頼まれ、近々京都に赴くことになった。15年前にいろいろ縁遠くする為にこんな風体になったので、表立ったことはできないのだが。

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どういうわけか、私は子供の頃から「出来て当たり前」と思われがちで、非常に不満である。

満点近くても評価は及第点で、「善からんは不思議、わるからんは一定」の言葉、身に染みている。

なので今回も全力以上の力を出さないと及第点にはならないのだが、問題は複雑で、ややこしい方々とも接点が必要であり、ましてや伏魔殿京都で、及第点にすることすら神業かもしれない。

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ビジネス以外に、ギターを弾いても、試合しても”出来て当たり前”感が強い気がする。気がするだけか。

とにかく生き心地はすこぶる悪い。

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自分の道場の生徒の中でも主力選手は高身長だったりガタイがよいのだが、彼等も一生懸命やってることが評価されにくい「生き心地の悪さ」を感じてるようで、私もその気持ちは判るので、なにかよき術はないかと思うのだが、どう考えても”そんな術はない”と結論に至る。

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新渡戸稲造博士が「木は高ければ高いほど、それだけ風や嵐にさらされることは多い」と綴られていたが、これは人間社会の道理で、大樹は風雨にさらされるものだと客観的に考えれば納得できる。

と、愚痴を書いてないで、やるだけやってみるしかない。と自分に言い聞かせて寝る。

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余談に。ブルースロックをまた弾きだしたのだが、演奏してる時は退屈で感情移入しにくいと思うのだが、その演奏したものを聴いてみるとそんなに退屈でもないのは不思議。ブルースの魔力か。

 

 

 

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