@déraciné5to1

思考と哲学の旅日記

標高640メートル

空手の指導員をしてくれている氏にゲバラのDVDを戴いた。
チェ・ゲバラは1967 10 9 に亡くなり、私は1967 7 22 に産まれる。
ゲバラ日記には1967 7 22 の日記もある。ゲバラは標高640メートルに居た。

ゲバラ日記は今から25年前に読んでる。
いまも文庫には当時の帯封がしてあり、我ながら大事にしていたのがわかる。
後に若き日のゲバラの旅をロードムービー化した、モーターサイクルダイアリーズも小さな映画館に観に行った。
政治思想には共感しないが、無常観と可能性の両極を持ち合わせ、現実的でありながら、人智の及ばぬ力も知る、生命への畏敬の念を持ちながら、早きに死ぬことを覚悟して信念を貫いた生き様は大いに共感する。

私はリアリストなので目的の為には手段を選ばないよいなところもあったり、夢想家で気分屋で思いつきや閃きで判断することもある。
目的は必ず達成しようとする執念とは真逆に”そんなことはどうでもよい”とも考えているので、本人にも解らない結末になる。

人のことは信じられないが、損得抜きに手助けをしにいって、なんの見返りもないことも多々ある。
よき人に助けられるが、その同じよき人から自分の信用を台無しにされるようなこともしばしある。
人は適当でいい加減なものだと寛容しているので、怒ることもないが。

たが、感情をコントロールできない人間は必ず大きな過ちを犯す。
人殺しもそう。
そういった類いの人種にどういった対応をすればよいのか、よくわからない。寛容さにも限度がある。
世の中の過ちのほとんどが人々の理性と知性より、感情が上廻り、歯止めがなくなった時に起こる。
それはもう一種の精神疾患であるが、それに対応するベターな方法ってのはサッパリみつからない。

そうこうしてるうちに、私は誰にも関わらず、独りが一番よいと考えて、表面上は上手く振舞うが、誰とも深い付き合いはしなくなっていってしまうのだろう。
1967に生まれてずっとそんな感じかな。

もっとベストな生き方があるのだろうが、生まれながらに貧相な階層に住む私は、金で解決するだけの世界で、肩書き重視の信用だの、信頼だのとのたまる輩の中で、ロクな世界を生きてはいない。

積み上げた石が崩れ、また一から石を積み上げ、また崩れの、賽の河原の餓鬼畜生の境涯を送ってるのかもしれない。


セリグマン博士のオプティミストはなぜ成功するか?って本は素晴らしい。
自分の考え方次第で世界観は一変する。

ユダの福音書キリスト教を一変させるようなことが書いてある。


今週末からプロレス、ライブと続く。

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