@déraciné5to1

思考と哲学の旅日記

I'll never revive.

人は思わぬ流れに飲まれ、足元がおぼつかなくなることもあったり、良かれと思ったことが裏目に出たり、”儘ならぬ”境遇に陥りやすいものである。
我が意思を後々に通すために、利用されているのを知りながら実行しなければならないこともあったり、意に反することも嫌々ながらやらなくてはならないことがある。
騙されてるのを判ってながら生きるのは、虚しいものである。

人生は輪廻し、生命は永遠だというのは、日常生活に1分前、1時間前、昨日が確実に経過時間としてあり、今があり、今の経過時間から推測すれば、アクシデントがない限りは10分後、24時間後、3日後は高い確率である。
そこから考えれば、過去・現在・未来は一つの生命に必ずあり、現在の自分の前には名前と容姿の違う自分が存在していたことがあり、未来にも容姿が違う自分が存在することは、おおよそ推測できる。

これは大乗仏教にある三世の生命観であり、その現代的な解釈論である。

私はこの輪廻の煩わしさを長きに渡り感じているが、童話、”100万回生きた猫”はその恨めしい輪廻を断絶して見せる名作である。

猫は誰の都合でもなく、自分の発意意思で生ききったことが、輪廻を断絶することになったのだが、私も人様の都合で生きないことが、輪廻からの解脱なんじゃないか?そんな気がしている。

I'll never revive.

そう希望している。
矢郷良明は今世で完結したい。
来世を迎えるかもしれない、矢郷良明の中身は灰となり、なにも残らないで欲しいと期待している。



広告を非表示にする