déraciné

思考と哲学の旅日記

知らないことは罪

◆世の中には自分の知らないことが山ほどある。

普通ならその“無知の知”に恐怖して、知識欲が湧き、知識と経験値を求め行動し、よりよい思考と結果を生み出そうとする。

これが普通、健全であり、精神衛生上もよく、個人革新にも社会革新にもなる、正しい生き方である。


ところが、自分が無知であることの自覚のないアホが山ほどいる。

狭い世界で、小さな知識で「我こそは才能に溢れた人間である」と自信満々である。
それを否定されると、「主観の違い」と言い逃れる。

君が優れているかどうかは、識者と対価を払う消費者が決めることであり、病気と同じで、患者がどんなに私は病気ですと申告してきても、それは医師が決めることである。

無知は罪であるし、恥である。


体術・スポーツの世界なら、上には上がいて、井の中のカワズは必ず潰される。
まぁ、そんな恥をかいても、長いものに巻かれ、主流者か誰かの子分になって、道場主と座に座る、恥ずかしい男芸者もいるが。


音楽・表現の世界なら、いくらよいモノを作ったと自負しても、それ以上の作品はとっくにこのよにあるのにも気付かない、無知な奴はたくさんいる。

そんなもんは1人で作って1人で部屋で聴いとれ。


◆知らないから認識することは出来ない。
普通なら。

ところがアホは知らなくて認識できなくても、評価は一人前にしようとする。


ネット社会の功罪である。


社会は知識層と無知な非生産的な層の二極化していくのを加速さている。

それはシステムが招いた格差社会とはまた違う、無知が自己選択した、もう一つの格差社会である。


◆偶然、オーナーと店長がぶつかりトラブルになってるお店の現状相談を二つ抱えている。

各自言い分があるだろうが、まずファンダメンタルに考え、「お金を出している人間の言うことを聞けないなら、辞めろ」という、当たり前のことを理解させなければならない。

自分のやりたいことは自分の金でやれ。
人の金で自分の我を通そうとするのは、犯罪者と同じである。

オーナーの不運とアホの繁殖に憂う。

世の中は難しい

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