déraciné

思考と哲学の旅日記

this is england

◆クラッシュ・ジョーストラマーが他界し10年以上たち、その検証本を読んでいたところに、サッチャー元首相の逝去のニュース。

ザ・クラッシュの闘争のドラマは1979年に就任したマーガレット・サッチャー保守革命推進の背景と一致していた。

サッチャーは就任当初の強引な政策で失業者を大量に増加させ、貧富の差が拡大させる。

いったんは人気を落とすが、1982年のフォークランド紛争愛国心を煽り再選し、大規模な炭鉱ストを打ち負かし、組合を弱体化させ、イギリスを変革していく。
日本の小泉・橋本政権と同じく、所謂、小さな政府政策で、経済を好転させるが、地方格差は広まり、利潤原理の名の下、福祉は切り捨てられていった。

◆移民への差別、極右勢力の台頭とその暴力を放任する警察、組合への弾圧、伝統産業の衰退、フォークランド紛争を煽る好戦的勢力。

これらとの闘争の歌がクラッシュ・ジョーストラマーの生涯だった。

クラッシュのラストアルバム、カットザクラップにディスイズイングランドという、名曲がある。

ジョーストラマーの音楽の歴史は、そのような国の状況を歌い、そして音楽業界へのアンチポップ産業スタンス、無思慮な人々への文化的・哲学的啓発と、ルーツミュージック、ネイティブミュージックの復興と普及というロック、パンクの文化的活動だったが、クラッシュ・ジョーストラマーの孤軍奮闘は流れに呑まれ、ジョーストラマーは徒労感の中、クラッシュを解散させ、グローバルな音楽を模索した途中に帰らぬ人となる。

日本もイギリスと似たようなハイエク経済学からの、政治思考で、格差社会をつくり、尚且つ、原子力発電事故からの放射能汚染の近いうちの大量被曝の危険に怯えながら、閉塞感の中で人々は生きている。

世の中の人の為に良かれと思い、奮闘する組織、人々も多いが、ジョーストラマーのように、徒労感に悩まされ病んでいっている。

誰も助けることなどできない。

私が生まれた1967年に、ドアーズのジムモリスンが5to1という曲で“ここからは誰も生きて出られない”と歌ったが、それが現実になった。


日本には政治にもその運営システムにも、ジョーストラマーのように、真剣に向かい合うような人は少なく、“向かい合うくらいなら、長いものに巻かれた方がよい”という人種なのが日本人である。

強い黒船が来たら、チョンマゲも刀も捨てて、700年間続いた武家政治を捨てて、大政奉還したくらいである。

そう考えると、本質的に日本人とはなにか?と思わざるを得ない。


愛国心というものも、もっと深く考えるべきである。


ジョーストラマーの本を読んで、先頃亡くなったサッチャー首相との闘争を読み、いろいろ思慮した日常であります。


児玉誉士夫氏を検証した、巨魁の昭和史は読みにくかった。


マキャベリ簡単入門、非情な人ほど成果を上げるは読みやすい。
が、マキャベリ思考が正しい訳でなく、経済も国の先行きも不安で、世の中がダメになってきているから、、小さな勝敗に拘る輩が社会の主流となるので、マキャベリとか韓非子とかの、どちらかと言えば現実的で悪な方が志向されるのだろう。

土建屋のオヤジや、やましい中小企業のオヤジ達が日本酒をのみながら「それは勝負でいうたら、勝ちか負けか?」とよく言ってたが、そんな小さく、ガサツな国になっていくかもしれない。

広告を非表示にする