déraciné

思考と哲学の旅日記

風邪と奮戦中

◆風邪クスリを混ぜこぜに飲んで、眠くなったりしながら一日過ごした。

お空手教室は未就学の子供さん達も頑張っており、難関の拳立て伏せに来ている。

拳立て伏せは、板にグーで腕立て伏せをすることなのだが、拳の人差し指と中指の拳頭部分だけで立つので、見た目以上に痛い。

で、また、道場の甘やかされ長男部隊が、拳立てが苦手で、全員拳立てをしていても、隙をみては手を抜いて休むので、私はそれを見つけては、教育的指導で蹴ったりしてたのだが、あまりに不甲斐ないし、年下の道場生の手本にもならず、ましてや悪影響にもなるので、中学生は拳立て伏せ100回できないと昇級審査の受験資格を得ないことに決めた。

空手だけでなく、学校はどんどん競争原理で動いていくから、「誰の為にでもなく、自分の為に努力してる」自覚をもっと持たないとダメですね。


◆またこのダメさを察知した親御さんの、ジムに通ってる、一部のお父さん達は、拳立て伏せを自らできるようにらなって、子供を励まそうと、拳立てトレーニングがブームになってきている。

頑張ってお父さん達!

ちなみに拳立ては小学3年のカイトと小4アッキーが100回を超えることができ、小5になるスエ子も50回はやる。

杏奈先輩は100回は軽くこなす。

こういった、努力を数値化して、客観的にし、これをクリアしていくと、実際の組手も強くなるし、人間的にも自信がもてるようになるから、推奨している。


道場は、「お店とお客さん」の関係ではなく、「医者と患者さん」の関係と同じである。

学校・学習塾も同じで、医者と患者さんである。

ところが、最近の世の親御さんは、すべてが“供給と需要者・消費者の関係”と履き違えている。

親御さんがそんなんだから、子供さんも同じになる。

親が理解できないことは、子供も当然理解できない。

ということは、子供を律するには親自身が自身を律し、人間力を高めなければならないという理論になる。

幸い、矢郷道場さんにはそんな方は居ないが、教育問題とは親子関係が発端であると思う。


◆親のミスの大きなものとして、子供の可能性を狭めることがある。

親が「どうせ自分の子は自分に似て頭がよくないから、勉強はそこそこ、毎日不登校や病気にならず、学校に行ってくれてればそれでいい」とタガを緩めると、子供はどんどん悪い方向にいってしまう。

実際には、頭がよくないのは親だけで、子供は別人格だから、親に似てアホになることはないのだ。

環境がアホ環境なら、アホになるが、子供にハードルを高く設定していけば、後々、四大も卒業して、就職選択肢も高卒者にくらべれば、数十倍になる。

これが可能性の幅を狭めない一つの例である。


◆あとは、短期・長期の明確な目標を作るというのが大事です。
これは子供が決めることではなく、親が設定してあげることです。

お仕着せがましいかもしれませんが、親が決めないとダメです。

「子供に聴いて、子供の意志を尊重したいです」というのは、いかにも耳触りのよい、よい親みたいですが、これは親の責任放棄の詭弁です。

親に自信がないからそんなこというのです。

親は他人に指摘される前に、我が子が“アホか賢いか、その原因が自身のせいなのだと、ドライに見極めなければなりません。

それによってよきアドバイスも生まれます。


そういったことを踏まえて、お父さん達は空気を読み、パパの拳立て伏せブームが起きているのであります。


◆今を穏便に済ませ、ナアナアの親子関係を作ってしまうと、結局、子供さんが不幸になります。

なにかと良かれと思ってやることは、余程の親の教養・倫理・に裏付けされた愛情から生まれたモノ以外は、すべて裏目に出るもんです。


あと、学生は勉強が第一です。

カラテやスポーツは助行です。

勉強でっきん子は、カラテもスポーツもでっきん子です。



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