déraciné

思考と哲学の旅日記

空手道

◆明日は新極真さんの第一回富山県交流大会
ふだん試合に出てこれない流派の方々も出場されるし、なによりも同級の長久先生が新極真の富山支部責任者としての最初の大会だから、応援せねばなるまい。
◆私がタイガーピットを始めた頃は格闘技ブーム草創の頃であり、空手が落日するのが目に見えていた。
タイガーピットは当時おられた見知らぬ方も含む、空手の先輩先生方々の為の援護の為のジムだった。
ウエイト器具と打撃練習スペースを設けて、他道場の方々は月会費を3000円で受け付けていた。
そんな支援もむなしく、移り気な大衆は流行の上を滑りたがり、空手は衰退していった。
ならばと武道の復活の為、ファッション格闘技にあえて殴り込み、派手なイベントを仕掛け、わざと早く衰退させる速度を早める為、過渡期をつくった。
それはさっさと識別能力を大衆に持たせ、もう一度武道の教育性に立ち戻らせる為のショック療法のつもりをだった。

『武道は人から金をとって見せるものではない。』
その思想を具体化するために『闘いを魅せてお金をもらう高いレベルのショービズ、プロレス』をやることで、識別能力と区別をできるようになってほしいから、私はプロレスをしている部分もあるのだ。
無邪気な方々は、私がはしゃいでイベントやったりプロレスやってると思ってるだろうが、
その真意は誰にもわからなかったろう。
すべては武道空手復興のための作業である。
私の本懐は空手である。
私が空手界のドンになりたいのではなく、もっと素晴らしい武道家の先生が埋もれているから、私がその方々と大衆のパイプ役になれればそれでよいと思っている。

◆武道なり、格闘技なりは金を貰ってやる見世物じゃない。やれば絶対無理がでてくる。
それをやると選手のためでなく、観客のためにってところから始まってしまう。
金を貰って見せる時点で選手には無意識に「観客論」が芽生え、運営側も「演出」を意識して、試合をコントロールしようとしだす。それを「これは新しいプロレスなんです」というなら別だが。
武道の試合は自分の成長の為に闘う。試合は自分の為にやってるんだから客なんか必要ない。
だから中途半端なグレーゾーンをふやすより、
自分の為、仲間の為の武道か、お客さんの為のプロレスか、の二つあればいいと考えてる。
◆プロレスは『まず観客ありき』からスタートしている。
金を貰って闘いをみせるならプロレスをやるほうがよっぽど正直である。
そう考えたらハンドリング次第でプロレスももっと面白くなると思う。

人間の総合的成長と、人の為に生きる人間になることを主眼として考えるなら、武道をやるのが本道である。
教育性のあるスポーツをやるのもいい

明日の空手の大会はそんな気持ちのもった流派が集まっての大会である。

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