déraciné

思考と哲学の旅日記

煩悩即菩提

◆偉い坊さんは
「煩悩を滅する」為に修行したと小さいとき読んだ本とかに書いてあったが、
子供ながらに「そんなこと無理じゃん」と思っていた。
◆大人になり本を読むと釈迦は
「煩悩を断じ尽くし三惑(見惑・思惑・塵沙惑無明惑)を断じて初めて菩提(悟りの境地)を得られる」と説いている。
◆たとえば
「車が欲しい」という心は煩悩で
「買って満足」することが菩提である。
◆しかし人は、
満たされたいと思うから努力し、
満たされれば手にする物や利益以上の心の充足と、より高い見識と心が得られる。
人はこうやって成長し、社会を潤し、人々の心を育んでいく。
◆人は欲求を消すことなんて死ぬ以外、いや仏教が説く生命の永遠輪廻の思想から言って、死んでも無理なのだ。
◆そして最大の問題は釈迦仏法が
『煩悩があるから悟りを得ようとする』
という根本的なことすら気付いていないってことだ(笑)
◆いまある宗教のほとんどがこれくらいいい加減なもんだ。
◆ただ一つこれに明確な答えを出している仏教がある。
これは釈迦仏法ではない。
日蓮仏法である。
「…煩悩の薪を焼いて菩提の慧火現前するなり煩悩即菩提と開覚するを焼則物不生とは云うなり」
(御義口伝上)
と説いている。
煩悩があるから菩提(悟り)があると明確な答えを書いておられる。
◆信仰はマヤカシみたいことがたくさんあるが、道理に反するものはすべてインチキである。
「仏法は道理」である。

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