déraciné

思考と哲学の旅日記

ブランド

ストンコールドも乗っているというポルシェカイエンを発見。
海洋哺乳類的デザインで見た目は「?」と思った。でもいいくるまなんだろうねぇ…
車のマークをみて思ったが外車のマークはデザインアートでありアイコンである。ポルシェのマークを見ればすぐあの車の形が思い出されるしフェラーリの跳ね馬のマークをみれば赤いあのボディを思い出す。メルセデスもスグに想像が付く。
しかし日本車のマークはどれも説明的で車体のイマジネーションが沸かない。
ここらへんが日本車は工業商業製品で外車は芸術作品と呼ばれる一因があるような気がする。
俺はとりたてブランド指向ではないが、パワーブランド化しているものには一目置かざるを得ないと思っている。
それはパワーブランドと呼ばれるものは商品の向こうに作り手側の人格、アイデンティティが見えるのである。
それに敬意を表し商品を手にしてそのブランドのアイデンティティを共有したいと考えるのである。
ポルシェならポルシェ博士とあのナチス激動の歴史を生き抜いたことに、
フェラーリならエンッオフェラーリの情熱とイタリアマラネロの熱い血の赤、早くに亡くした息子ディーノへの愛情、
ファッションならCHANELの中に息衝くココシャネルの生き方などへのリスペクトと共感を表し商品を手にしているのだとおもう。
日本人には表面的な経済性、利用性を重視していて、それを産みだすヒューマンな部分が見えにくく、”のれない”のだと思う。
日本人のミュージシャンも売れればいいと曲を作るがゆえ、アーティストとしての生き様、人間の奥行きを持たないので市場の歯車の一つになっている。
日本人はそういうとこが無粋だなと感じる。
★パワーブランドは創業者のアイデンティティを守るため真剣な努力と戦いをしているのではないかと思う。
ブランドは花瓶でデザイナーやマーケティング、エンジニアは活けた花だと思う。(例えばルイヴィトンが花瓶でマークジェイコブズが花)パワーブランドの花瓶には次々と新しい花を活けてその歴史を紡いでいるのだと感じる。

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