déraciné

思考と哲学の旅日記

宗教2

先日、宗教の話をここに書いたら少し反応があり「なぜ宗教に興味があるのか?」と聞かれた。
その人達にも答えたがここにも書いておこうと思う。
まず誰もが「自分は何者だろうか?何の為に生まれてきたのだろうか?」との疑問を持つと思う。
(ここで「そんなこと考えたコトなんかない♪」という人は話しにならないし、生きててもしょうがないから死んだ方がいい。)
自分を知りたいときは廻りを知らなければならない。
廻りを考えてると日本を知り学びだす。
日本を学びだすと世界を意識する。世界を意識し、知ろうとするとその歴史に学ばなければならない。
歴史を学ぶと
「歴史を動かすのは人間であり、人間の行動原因は感情、愛情などの情念と外部からの影響と内部から生まれる倫理観とであり、その情念と倫理観の土台と起因になるのは宗教であることがほとんどである」ということを知ります。
例えばキリスト教の基本知識がないと西洋の文化、政治はまったく理解できない。ダビンチの「最後の晩餐」も判らないしプロテスタンティズムの資本主義成立も判らない。
哲学もハイデッカー、サルトルの実存哲学以前はキリスト教の深い影響からうまれている。
政治、産業、司法などの本質を研究する方々は必ず人間の心、ファンダメンタルな部分に行き当たるといいます。
旧ソとアメリカ他西洋諸国の紛争も宗教です。共産主義マルキシズムが打ち出した「無神論」はキリスト教社会からみると「神をも信じない人でなし、悪魔!」と考え共産主義無神論者を「人間に似た人間以外の生物」とみなして確執が起きているのです。
西洋諸国に行き、馬鹿日本人が「私は無宗教です。無神論者です。」というともう、まったく人間扱いされません。
日本人と西洋のファンダメンタルな文化の違いも宗教的見地から見ると永遠に同化しない異文化同士であることをしることができます。
例えば日本人には自分の箸やお茶碗というものがある。西洋には自分のフォークや皿はありません。
これは日本特有の「ケガレ」という思想があるからでしょう。
日本人は目に見えないモノや感覚を信じ、西洋は実証されるモノ、具現化されたものを信じます。
これがまさに宗教からの影響でしょう。
このように宗教は人間社会に深く根付き、切り離せないものです。
しかし日本人は明治以降のエセプラグマティズムの影響の西洋的合理主義教育により宗教的なものは迷信であると思い込んでいるため、人の噂やマスコミの偏った報道などを鵜呑みにして(無知ということなんだが)宗教を無暗に否定する人と、やはり人の話を鵜呑みにして盲信する人(これも無知ということなんだが)が極端になりました。
これからは宗教を深く客観的に学ぶことが世界を知り自分を知ることになり、社会と自分の関係や存在意義が明白になると思います。
また信仰を保つことは素晴らしいことなので、学んだ宗教の中から自分の信仰が見つかればいいのでは?と思っています
本物の宗教は哲学の上のレベルであり、宗教は思想ではなく万民の幸福の羅針盤になり実際に問題解決の法力を備えたものであると思う。
それを見極めるのは本人の責任で努力すべきだと思う
自分を知ろうとする思考は世のすべてを知ることになると思いし、世界はどうあるべきかを知れば自分がどうあるべきかを知ると思います。
思考の旅は永遠に続く輪廻のようなものでしょう

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